良く言われる「スタメン問題」に対する考え。スポーツに対する考え方にも関わってくるんだけど、要は「上手な子下手な子関係なく均等に試合に出場させるか」「上手な子は多く、下手な子は少なく出場させるか」という話。
本来、スポーツのみならずどんな物にも勝敗は必ずと言っていいほど付きまとう。そこで努力した物が勝者であり負けた者は敗者である。そんな事は誰に言われなくてもわかってるんだけど、それを少年サッカーに当てはめるかどうか?
基本的に、大多数の人たちは結果平等をはっきり求めてはいないと思う。上手な子は上手になる為に努力しているのも知っているし、地域のスポーツ少年団は月謝も安いので託児所位の気持ちや、とりあえず何かやらせとこうかなとか、仲の良いお友達が入ってるからとか様々な動機で入ってくるから個人のモチベーションもはっきり分かれてくる。その中で結果平等を追い求めると、逆の意味で不公平感が出てくるから。
ただし、機会平等にも程度があると思う。見ていて悲しくなるのが試合終了間際の1分前位に出場する選手がいる事、見るからにお情けで指導者が機会平等だよ、みんな出場させているよと言いたいが為に起こる。各チーム様々な事情があるんだと思うが、まさかプロチームの様にロスタイムの時間稼ぎに選手交代をしている訳でもあるまい。その子は残り一分で何をやれと言うのか。サッカーが上達する為に一番必要なのは良質な練習ではなく実戦経験に尽きると思う。試合に出ることこそが上達の近道であり。そこで課題が出て、それを練習で克服する事で学習する意欲や成功体験による自信が出てくるのだと。
この加減は非常に難しい所だが、自分はポジションも含めて固定にはせずなるべく均等になるように出していく。するとどうしても端数?が出るのでそこに努力している子を当てはめて行く。結局、どの様な形にしても完全にみんなが満足する形はとれないが、仮にそれで負けたとしても どうという事は無いと思う。勝利がチームにもたらす喜びは大きいけど、負けて得る事もまた同じように大きいと思うから、大切なのはその後の一人一人への問いかけなんだと思う。
行き過ぎた「偽機会平等」によって出場機会が少ない子はさらに上達するチャンスを奪われまた練習にも意欲が出なくなる悪循環に陥る。嫌いな物が上手になる訳はない、まず好きにさせないといけないのだと強く感じるところ。
先日の試合で、今日のテーマは新しく入ってきた子に自信をつけさせる事と位置づけ、集中的に多く出場させた、努力する子達だが流石に1・2年生から始めた子に比べるとボールタッチも甘くドリブルも上手ではない。しかし、全試合終わってみると全員得点を上げる事ができ非常に嬉しそうだった。いつもは試合に多めに出ている子たちも一生懸命応援していて嬉しかった。これからも色々あると思うけどこの気持ちをみんな持ち続けて欲しいなと思う。
今週末は土曜日が1・2年生の試合、日曜日が3年生の試合、果たしてどんな珍プレーが出る事やら。
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